作家・山口瞳と競馬評論家・赤木駿介の共著『日本競馬論序説』についての記事に「山口瞳が全国公営競馬27カ場を巡る『草競馬流浪記』が好きで、折に触れて読みかえしている」と書いたが、まさに、ここ数日『草競馬流浪記』を読んでいた。
山口瞳『草競馬流浪記』
私の手元にあるのは、山口瞳『草競馬流浪記』(新潮文庫)。
『草競馬流浪記』は、1981年5月より雑誌『旅』(途中から『小説新潮』)で連載、1984年3月新潮社より刊行された。
単行本、文庫本ともに絶版になっていたのを私は十数年前に古本で手に入れた。なお、現在は電子書籍化されている。
『草競馬流浪記』各章の見出しは以下の通り。
笠松競馬場案内
2 水沢競馬、北国の春はまだ
水沢競馬場案内
3 姫路、紀三井寺は玄い客ばかり
姫路競馬場案内
紀三井寺競馬場案内
4 道営横断三百哩
北見競馬場案内
旭川競馬場案内
5 東京ギャンブル大環状線
川崎競馬場案内
船橋競馬場案内
大井競馬場案内
浦和競馬場案内
6 園田競馬場に秋風が吹く
園田競馬場案内
7 萩すすき、上山子守歌
上山競馬場案内
8 福山皐月賞、都鳥君奮戦記
福山競馬場案内
9 佐賀競馬場のゲッテンツウたち
佐賀競馬場案内
10 盛岡競馬、東北新幹線試乗記
盛岡競馬場案内
11 益田競馬場、夏時雨
益田競馬場案内
12 名古屋土古の砂嵐
名古屋競馬場案内
13 大歩危小歩危、満月旅行
高知競馬場案内
14 冬木立、宇都宮競馬場
宇都宮競馬場案内
15 近くて遠きは足利競馬
足利競馬場案内
16 寒風有明海、御見舞旅行
荒尾競馬場案内
17 高崎競馬、サクラチル
高崎競馬場案内
18 金沢競馬、アカシヤの雨
金沢競馬場案内
19 中津競馬、恩讐の彼方
中津競馬場案内
20 燕三条見得談義
三条競馬場案内
21 旅の終りの帯広、岩見沢
帯広競馬場案内
岩見沢競馬場案内
笠松競馬場から始まって岩見沢競馬場まで、当時の全国公営競馬27カ場を巡っている。
2022年8月現在、地方競馬場は15場となっている。
『草競馬流浪記』に掲載されている競馬場で廃止となったのは、紀三井寺、北見、旭川、上山、福山、益田、宇都宮、足利、荒尾、高崎、中津、三条、岩見沢の13場。
1997年12月に門別競馬場ができた。
なお、文庫本には、特別附録として、座談会「たかが競馬、されど競馬」、結論「競馬必勝十ヵ条」、解説「“草競馬流浪記”を読んで 森田芳光」が収録されている。
あのアンカツもかつては“おぼこい”乗り役だった
山口瞳は、公営競馬のことを草競馬と呼ぶことについて、こう書いている。
僕が公営競馬のことを、あえて草競馬と呼ぶのは、決してこれを軽蔑しているためではない。むしろ、草競馬という言葉につきまとうところの、一種の懐かしさ、解放感によるものだと思ってもらいたい。
山口瞳は、スバル君、都鳥君、パラオ君、臥煙君といった同行者と旅をする。主な同行者はスバル君、途中から担当が変わって都鳥君にバトンタッチする。
笠松競馬場案内の第1章では、若き日のアンカツこと安藤勝己元騎手を「笠松の福永洋一と称される二十一歳の安藤勝己」と紹介している。
山口瞳は、大澤さんという笠松競馬関係者から「安藤勝己に会いたいと思いませんか」と言われる。
「安藤勝己というのは、うまいかね」
「上手ですが、いま、ちょっと、勝ちに行きすぎるようなところがありますね」
「そういう騎手が好きだ」
「意識しているところがあるんじゃないですか。だけど、中央へ行ったら、凄い人気になるでしょうね。なにしろ、おぼこいで……」
「おぼこい?」
「可愛い顔をしてるんですよ」
「ああ、僕はそれにヨワイんですよ。可愛い少年というのは、ちょっと困るんだ」
安藤には会わないことにした。惚れてしまって帰れなくなったら大変だ。大澤さんは、安藤を見ていると怖い感じがするという。天才型の美少年にはそういうところがある。事故を起こさなければいいが……と、しみじみした口調で言った。
あのアンカツさんが、おぼこい、可愛い顔、美少年などと言われていたのだなあと、ここを読む度に、ふふっとなる(笑)
地方で食べる食べものも美味しそうで、紀行文としても楽しい。
第16章の荒尾競馬場案内では、最後に長崎にあるとら寿しという寿司屋に行ったエピソードがある。
快晴、無風。有明フェリーに乗ってデッキに出ても寒くない。バスで長崎中央橋まで。
その夜、とら寿しへ行った。白身の魚、フグ、イカ、タコのうまいこと。翌日の昼、僕はチャンポンメンが食べたかったのだけれど、都鳥君がこう言ったのである。
「わがままを言っていいですか」
「なんだい?」
「もう一度、とら寿しへ行きたいんです」
「いいとも」
これでもって、とら寿しのうまさがわかってもらえると思う、寿司屋として日本一だ。
担当が作家にわがままを言える関係というのもいいなと思う。また、山口瞳とスバル君、都鳥君らが、そういう関係だからこそ、この旅がより楽しいものになっているのだろうと私は思う。
「僕を生かしめているのは競馬だ」
第21章の帯広・岩見沢で、山口瞳は体調を崩していた。
「これがね、競馬ではなかったら、たとえば映画だったら、あるいは音楽会や芝居だったら、途中で帰っちまうね」
それが僕の本音だった。それくらい調子がわるかったが、馬が走れば、すべてを忘れてしまう。
「僕を生かしめているのは競馬だ」
そのことをちょっぴり淋しく思うこともあるが、これは動かせない事実である。日本の最高の競馬場である府中競馬場の近くに家がある(僕は中山へは行かない)ことが大きな要因であるが、来年のダービーに何が勝つかと考えると、うっかり死ねないぞという気になってしまうのが嘘いつわりのないところである。
いよいよ旅も終わりに近づいた最終章は、なんだかしんみりしている。
文庫本で542ページ(特別附録除く)と結構なボリュームがあり、読み終える頃には、一緒に長い旅をしたような気分になる。だから、都鳥君の「淋しいです。『草競馬流浪記』が終わっちまうなんて。イヤです。イヤです。淋しいです」という言葉に、思わず頷いてしまう。
山口瞳『還暦老人ボケ日記』は、そのタイトル通り還暦後の生活を綴った日記だが、土日に府中競馬場に出かけて競馬を楽しむ様子も書いてあったりする。
『草競馬流浪記』&『還暦老人ボケ日記』Kindle版は、Kindle本夏のキャンペーンで2022年08月11日(木)23時59分まで50%ポイント還元となっています。
山口瞳・赤木駿介『日本競馬論序説』は絶版で、残念ながら今のところ電子書籍化されていないが、今でも通ずるところもある競馬論で面白い。私はこれを読んでパドックにより興味を持つようになった。
坪松博之『Y先生と競馬』(本の雑誌社)は、Y先生(山口瞳先生)の競馬に同行した著者が綴った評伝エッセイ。山口瞳の著書(主に男性自身シリーズ)からの引用も多い。
私は、『Y先生と競馬』もとても好きで、この本についてもいずれ書きたいと思っている。いつでも気軽に読めるように文庫化あるいは電子書籍化して欲しいと思っているのだが、今のところ単行本のみ。